貧しさと負い目

熱を出した3歳の息子の看病をしながら、専業主婦の私が就活をはじめた意味を考えていました。

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私はいわゆる貧乏な家に育ちました。

母子家庭で母はスーパーのレジのパート。月収は12万弱。父からの養育費は途切れつつも高校卒業まで続いたから、実質12〜18万で生活していたことになります。

鉄筋コンクリートの市営アパートは黴臭く、冬は結露で畳が腐ってベコベコになっていました(´・ω・`) 母はときおり発狂し、壁やふすまやトイレの蓋を壊してしまったけれど、元が元だからさほど気にならないような、そんな家でした。

子供部屋としてあてがわれた4畳半に、私と兄は高校卒業まで住み続けました。年子の兄妹だから、思春期ともなれば多少不自由はしたけれど、それなりに楽しく生活していたと思います。兄の卒業後の1年間のほうが、かえって辛かった…

母も、たぶん悪い人間ではなかったけれど。

攻撃的にならざるを得なかった彼女の生き方を、今となっては不憫に思います。

 

高校卒業後、兄は昼間フルタイムで病院事務の仕事をし、夜間大学に通うことを選択しました。国立大の学生寮に住み、学費は半額免除を受け、残りの学費と生活費はすべて自分で捻出していたようです。

私はというと・・・兄という先人のおかげで思った以上に楽に進学することができました。兄と同じく学生寮に住み、授業料は全額免除。

寮費は光熱費込みの月額9,800円。奨学金とバイト代を併せれば、たまに飲み会に参加したり、中古の原付バイクやパソコンを買えるくらいには余裕のある生活だったと思います。

大学の自治寮には同じような貧しい家庭の子が多く、仕送りをもらわず自分で学費を工面している人は勿論、実家の借金返済のために仕送りをするつわものもいました。

今思うと、学生時代は本当に楽しかったです。それなりに忙しかったけど、好きな研究に没頭し、時間が経つのも忘れて友達と喋り明かし、毎日が自由で本当に楽しかった。

すべては、支援があったから。

 

国の、社会の、納税しているすべての人のおかげで、私の学生生活は成り立っていました。

授業料の免除、格安の学生寮、無利子の奨学金。実家の母は格安の市営アパートに住み、祖母は医療費の助成を受けて入院生活を送っていました。

私と私たち家族は、社会の負担だったはずです。それを自覚し、恥じて、隠してもいました。

もし、あの頃の私がそれほど負い目を感じてなかったとすれば、それは社会にとって有益な人間になりうる可能性があったからでしょう。

 

そして今、専業主婦の私は、あの頃と同じような心持ちでいます。

いつか恩返しをしなければ、そう思いながら、今もなお恩恵を受けている。

 

仮に社会のほうが気にしていなくても、私に投資された金額と機会に対する恩返しを、子供たちに託さず、自分で還したい。

働きたい。そう思います。

 

ちなみに母親とは溝が深すぎて直接顔を合わせることはないけれど、年に2回、母の日と母の誕生日に送金しています。

在宅ワークで稼いだお金をネットバンク経由でネット証券にうつして運用し、差益を送っています。微々たるものだけど、最初塩漬けばかり出してたのに、母に送ると決めてからはあんまり損失が出なくなったから、株は不思議。