手助けに理由なんていらないのに、悩む。

こんばんは、はるさきです。

先日あるブログを読んで、むかしのことを思い出しました。

 

私は学生時代に自閉症の子供たちのシッターをするボランティアをしていたことがあります。

教育学部の学生が作ったボランティア団体で、自閉症児の生活を知ることで教育のあり方を考えるという趣旨で発足したものでしたが、実際のところは出かけることもままならない親御さんに代わって子供たちのお世話する、というのが主な活動でした。

私の担当は5歳と3歳の自閉症の兄弟で、お兄ちゃんの方はかなり力が強く、こだわりも強かったので、親御さんは子供たちを連れて買い物にも行けないような生活を強いられていました。

そのため、お母さんが出かけたいときに1人で出かけられるように、平日の夕方とか、土曜は朝からとか、講義とバイトのない空いた時間におうちに通っていました。何度も通っているうちに子供たちは懐いてくれたし、ボランティアが2人のときはいっしょにバスに乗って出かけたり、土曜日は簡単なごはんを作ったり、一緒にゲームしたり、自分にできることをできる範囲でしていました。

最初は私の作ったごはんをほとんど食べてくれなかった兄弟が、だんだん打ち解けて全力でかかってくるようになったのは、正直うれしかったです。子供が好きになったのもこのころでした。

 

でも。あるとき、大学の先輩から、

「結局、ボランティアって自己満足だからね」

と言われたことがありました。

 

極論を言ってしまえば確かにそうなんだけど、それをひとくくりに言ってしまうのはあまりに乱暴な気がして、そうじゃないという結論に至る何かを求めて、当時はあれこれ悩んだような気がします。

でも、自分の内面を掘り下げていけば、やはり行き着く先は自己満足…だったのかな。誰かの役にたつことで自分が満たされたかっただけなのかも…と思ったり。

当時は自己満足という言葉に囚われて、ボランティアをしていても自分がただの偽善者に思えて苦しかったこともありました。

 

自己満足とか、偽善とか、ただの言葉なんですけどね。

必要以上に言葉のネガティブな側面に囚われてはいけない、大切なのは何をするかであって、言葉による分類じゃない、と後になって思いました。

手助けに理由なんていらないのに、ほんと何を悩んでいたんだろう。

 

でも、正直いうと今でも悩みます。

手助けとか、いいことするのって、ときに悪いことするのと同じくらい悩ましい気がするんですが、私だけですかね?

スマートに手を差し伸べられる人間になりたいです。